聖研の学び「キリスト伝-4 降誕②」

2017/1/25-26

テキスト 金井信生 牧師

聖 書  ルカ2章1節〜20節より


メッセージ要旨


ヨセフとマリヤは、当時の習慣に従い、生れた子どもについての律法の規定を守り行いました。

 

1.割礼・命名(ルカ2:21

 最初の割礼は、主がアブラハムに、神との契約関係に入ったしるしとして行うように命じられました(創17:9‐14)。主は「あなたがたのうち男子はみな割礼を受けねばならない。・・・生れて八日目に割礼を受けねばならない」と命じられ、後に律法にも記されました(レビ12:3)。

 

 主イエスも両親の手によって生後8日目に割礼を受け、名前が付けられました。ヨハネも先に割礼を受け、命名されています(1:59‐63)。

 

 当時の習慣では、近くにいるラビ(教師)を家に迎えて割礼式を行い、両親だけでなく親戚や近所の人も集まって盛大に祝われました。しかしイエス様の割礼は、近くの会堂で、ヨセフとマリヤ、ラビの三人だけだったと思われます。

 

 イエス様は、はじめから神の子であってあらためて神様と契約を結ぶ必要はありませんし、受胎の時から名前も定められています。割礼と命名の儀式は本来必要ありません。しかし、イエス様は全き人としての歩みをされるために受けられました。

 

2.聖別(ルカ2:22−38

 またヨセフとマリヤは、「きよめの期間」(レビ12:2−6)が終って、すなわち生後40日たって、幼な子イエスを連れてエルサレムの神殿に上りました。これは主が過ぎ越しの後に「すべてのういごはわたしのために聖別しなければならない」(出エジプト13:1)と命じられ、律法(22:29)に定められた通りに行うためです。まず幼な子を神の前に差し出し、その後に「銀5シケル」を払ってあがない(買い戻し)ました(民数記18:16)。

 

 動物の犠牲をささげたのは、産婦の汚れを清めるためです(レビ12:6−8)。「山ばと一つがい、または、家ばとのひな二羽」は、「傷のない一歳の小羊」をささげることのできない貧しい者のための規定に沿うものでした。

 

3.シメオンとアンナ(ルカ2:25−38

 ヨセフとマリヤが主イエスを抱いて神殿に入った時、特別な出来事が起ったことに気がついた二人の老人がいました。多くの人々が出入りし、商売人の声が飛び交う騒がしい境内であり、儀式に立ち会った祭司も普段通りに務めを果たすだけでしたが、貧しい夫婦とその赤子に目をとめることができたのは、彼らが霊に満たされた人であり、祈りの人だったからです。

 

 シメオンは待ち望んでいた救い主に会うまでは死ぬことはないと示されていました。彼は幼子イエスを腕に抱き、「わたしの目が今あなたの救いを見た」(30)と証ししています。シメオンが喜んだ救いは、多くの人が見誤ったような愛国的、政治的あるいは経済的な救いではなく、すべての人にまことの神が示され、神との交わりが回復される魂の救いです。また救い主の歩む道は困難な道であることと、母マリヤのやがて受ける苦しみまでシメオンは預言しました。

 

 女預言者アンナは、長年の孤独の中に、祈りの奉仕に専念してきました。(「84歳」とありますが、「やもめとなって84年」と訳せば、100歳以上ということになります)。アンナの預言は、救い主を待望する言葉でしたが、幼子イエスに出会った時から、喜びの知らせを伝える者になりました。祈りの人、忍耐の人に主が備えられた大きな喜びであり、光栄ある務めです。

 

 ルカがこの章に5度までも「律法に定められたとおり」と記すように、主イエスは「律法のもとに」(ガラテヤ4:4)お生まれになられました。しかし、主が来られたのは「律法を成就(完成)するため」(マタイ5:17)であり、シメオンとアンナはこれまで律法では得られなかった救いの満足を、赤子キリストを通して与えられました。


賛美 新聖歌66