『主が共におられるから』出エジプト33章12〜16節より

主は言われた「わたし自身が一緒に行くであろう。そしてあなたに安息を与えるであろう」。』(出エジプト33:14)

2017年1月14日・郡山キリスト共同教会、新年聖会1・山田和幸牧師(笹谷教会)によるメッセージ


聖会1 2017/1/14 (土午後7時30分〜

主が共におられるから

説 教 山田和幸 牧師(笹谷教会牧師)

聖 書 出エジプト33章12〜16節より

讃 美 新聖歌266

    新聖歌426

    新聖歌428


説教要旨


今日の金言14節は、イスラエルに与えられた臨在の約束で、私たちの教団創立の御言でもあります。

 

Ⅰ イスラエルの現実

 この御言は、モーセが神様にとりなしの嘆願をしている時に与えられました。イスラエルの民が頑なな心で、罪を犯してしまったからです。

 罪は、私たち人間に執拗につきまといます。そして、罪には裁きが伴います。その罪が赦されるためには償いが必要ですが、私たちにはイエス様の十字架という完全な身代わりがあります。

 

Ⅱ 臨在の必要

 神様は、共に行くと滅ぼしてしまうので、代わりに御使いを送ると言われますが、モーセはそれでは駄目だと感じていました。

 約束を守らせて下さる神様が共に行かれることこそが、幸福な人生の秘訣です。

 救い主である神様が共におられることは、正しい者には喜びですが、罪のために神様に背を向けている者には恐れとなります。私たちにとって、神様が共におられることは嬉しいことでしょうか、困ることでしょうか。

 

Ⅲ 憐れみ深く真実な神

 共に行って下さる臨在の神様は、煩わしいお方、邪魔者ではありません。モーセの使命の大きさと困難を考えると、神様の臨在はどうしても必要でした。これからどうなるのかが不明であっても、どなたがご一緒であるのかが確かなら、平安を得ることができます。

 神様の性質は聖書に表されています。「あわれみ」「恵み」「怒ることおそく」「いつくしみと、まこととが豊か」「いつくしみを千代までも施し」「罰すべき者をば決してゆるさず」「父の罪を子に報い、子の子に報いて、三、四代におよぼす」「悪と、とがと、罪とをゆるす」お方です(34:6,7)。

 臨在を喜ぶところに安息が生まれます。憐れみ深く真実な神様が共におられるという確信が、どんな困難の中でも揺らがない信仰を生むのです。

 

 聖書に表された神様の厳しさと愛をそのまま受け入れたとき、私たちはこの神様と共に歩むことが、幸いな人生の鍵だと気づきます。「主が共におられるから」と信仰の歩みを進むことができるのです。主は、私たちの盾、友となって下さる愛の神様です。