聖研の学び「キリスト伝-1」

2017/1/4-5

テキスト 金井信生 牧師

聖 書  マタイ1章1節〜18節より


メッセージ要旨


1.系図(マタイ1:1〜18)

マタイは主イエスが生まれるまでの系図をまず記しました。系図はアブラハム、ヨセフ、バビロン捕囚を区切りとして十四代ずつ、合わせて四二代に及んでいます。

 

[1]三つの区分

最初の十四代は、アブラハムの選びから始まり、個人から家族、そして民族へと神の民が形作られていきます。エジプトからの救いを経て神の民として生きるための律法が与えられ、カナンの地を勝ち取って、一つの国ができるまでの「上昇の時代」です。

次の十四代はすべてユダの王たちですが、主がまことの王であることを忘れ、律法を軽んじていきます。国には不正や横暴があふれ堕落し、最後は国を失っていく「下降の時代」でした。

最後の十四代はバビロン捕囚から解放され、再び建国しますが、預言の絶えた「行き詰まりの時代」です。しかし夜明け前が最も暗いと言われるように、約束された救い主への期待が高まっていく「待望の時代」でもありました。

 

[2]四人の女性

古代において、系図は男性中心で、女性の名前が記されることはありませんでした。しかし主イエスの系図には、四人の女性が記されています。

 

タマル(3)はユダの亡くなった息子の妻でした(創38)。

ラハブ(5)はエリコに住むカナン人の遊女で、イスラエルの斥候をかくまった異邦人です(ヨシュア2)。

ルツ(5)もモアブ人で、亡夫の母ナオミについてユダヤに来ました。

そしてウリヤの妻(6)(サム下11)です。

 

いずれも、誇らしい歴史ではありません。ユダヤ人にとって、異邦人の血が入っていることは望ましいことではなく、またユダやダビデ王の罪の記録がそのまま残されています。

しかし、神はその罪の歴史の中に救い主を生まれさせてくださいました。主の使いが

「彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである。」(1:21

と告げるとき、「そのもろもろの罪」とは、漠然としたものではなく、はっきりと自覚している罪を指しています。救い主キリストは、神様と私たちを隔てている罪の壁を破り、だれもが目を背ける自分の罪に向きあって始末してくださるお方だからです。

 

2.キリスト降誕の時

パウロは「時の満ちるに及んで、神は御子を女から生れさせ、律法の下に生れさせて、おつかわしになった。」(ガラテヤ4:4と記します。イエス・キリストがお生まれになった時は偶然ではなく、神様のご計画の中に定められた時でした。

 

[1]政治的に

ローマ帝国初代皇帝アウグストの時代です。この後3世紀にわたってローマ帝国が地中海沿岸とその周辺を支配する、パクス・ロマーナ(ローマによる平和)と呼ばれる時代が始まります。この時代、大きな戦争はなく、安定した成長と繁栄の時代が続きます。また「すべての道はローマに通じる」と称されたように街道が整備されました。本来はローマの軍隊を迅速に帝国内に派遣するためでしたが、人々の行き来は盛んになり、福音が伝えられる道が開かれていました。

 

[2]文化的に

ローマに先立ってアレキサンダー大王が築いたインドに及ぶ大帝国は、ギリシャ文化を各地にもたらしました。その死後、国は三分割されますが、いずれもギリシャ語を公用語とし、ギリシャ文化の強い影響下にあります。キリストの福音はコイネーと呼ばれる平易なギリシャ語で記されることで、民族をこえて広がって行きました。

 

[3]宗教的に

創造の主を信じるユダヤ教は、バビロン捕囚を経て、その中心は神殿での祭儀から律法教育に移っていきました。町や村に会堂(シナゴグ)が設けられて安息日にはそこで礼拝を献げました。会堂での礼拝では詩篇によって賛美をささげ、律法を学び、預言を通して救い主を待ち望む祈りがささげられます。政治的な思惑の中で揺り動かされるエルサレムの宗教界よりも、むしろ地方の町々村々で救い主待望の新しい情熱が強まっていきました。

 

[4]道徳的に

律法を研究し、現実社会へ適用してゆく中で、パリサイ派(分離された者の意)や律法学者たちが指導的な立場を占めていきます。しかし、その行きつくところは、人間の努力や修養の限界でした。

「律法の義については落ち度のない者」(ピリピ3:6と自分を証しするパウロでも、

「わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。」(ローマ7:24と告白します。律法を学ぶほどに悟らされる自分の存在が罪そのものであり、どうにもできないことを言い表した言葉です。神に出会い、汚れた自分をその前に持ち出す以外に救いはなかったのです。そして主イエスを信じたパウロは

 

「わたしたちの主イエス・キリストによって、神は感謝すべきかな。」(7:25と救いを喜び、賛美するのです。


賛美