『小舟の祝福』マルコ3章7〜12節より

『イエスは群衆が自分に押し迫るのを避けるために、小舟を用意しておけと、弟子たちに命じられた。』(マルコ3:9)

2016年8月28日・郡山キリスト共同教会、金井信生牧師による主日礼拝説教


2016/8/28 午前10時30分〜

(8月第4主日・年度第35主日)

小舟の祝福

説 教 金井信生 牧師

聖 書 マルコ3章7〜12節より

讃 美 新聖歌137

    新聖歌253

    新聖歌317

交読文 新聖歌9(詩篇第27篇)


説教要旨


イエス様のもとには、しばしば大勢の人が集まってきました。9節には「群衆が自分に押し迫るのを避けるために」、小舟を用意するよう弟子たちに命じられます。

 

1. 小舟の必要

 

イエス様は,人間の弱さを知っておられるお方です。わたしたちを圧倒するカが迫るとき、しばし逃れる所を得、距離を置く必要があることを主はご存知でした。

これは大船に乗って遠くに逃げることではありません。

ヨナは大船に乗って眠っていましたが、結局、神様の手に投げ出されました。

一方、ノアの方舟は寸法としては大きな船ですが、動力を持たないので「舟」と表わされます。聖書の記述どおり復元すれば、波を切ることも考えられていない、ただの箱でした。しかし,神様の手に握られており、人を救うことができました。

 

2. 小舟の祝福

 

ガリラヤ湖の漁師だったペテロたちは、「小舟」がどんなものであるか、よく知っています。嵐に遭ったらひとたまりもない舟です。魚を確実に追ったり捕らえる装備はなく、自分の知識や経験を総動員しても、魚の群れに出会えないでがっかりすることもよくありました。

しかし、イエス様が共におられるとき、そんな頼りない小舟が大きく用いられることを、弟子たちは目の当たりにします。

最初にイエス様の弟子になったときには、主の導きに従うと、思いがけない大漁を経駿しました。イエス様が乗っておられても、やはり嵐に出会います。でも舟は沈みません。主の言葉によって、湖面だけでなく弟子たちの心の中の嵐も檎められ、舟は無事に着きました。

舟の大きさが問題なのではなく、共におられる主に頼り、仰ぐべきお方を仰ぐときに、神様の豊かな祝福を得ることができることを弟子たちは学んでいきました。

 

3. 小舟の用意

 

イエス様は、

「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。(マタイ11:28)

と、今も人々を招いておられます。

日々の生活に、人間関係に疲れきった人、重荷を抱えたまま苦しんでいる人、教会はそんな方々に小舟を提供できるところです。

一週問の中で、礼拝で静まるひとときが、祈祷会での祈りの交わりが、慰められ、また励まされるときとして用いられます。

また、主を中心とした小さな交わりの中で、大きな協カはできなくても、ほんの少し肩代わりして差し上げることによって、共に嵐を忍ぶこともあるでしょう。

「恐れるな、小さい群れよ。御国を下さることは、あなたがたの父のみこころなのである」。(ル力12:32)。

この言葉によってこれまでも多くの教会がカづけられ、また疲れたたましいが休み、主の救いにあずかるところとして用いられてきました。

主は今も「小舟」を必要としておられます。わたしたちも主が共におられる平安を喜び、小舟として生かされ用いられる祝福にあずかりましょう。