『神との和解』ローマ5章・1節〜11節より

 このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、

わたしたちの主イエス・キリストにより、

神に対して平和を得ている。


ローマ人への手紙(口語訳) 5章1節

2015年5月17日・郡山キリスト共同教会、金井信生牧師による主日礼拝説教


2015/5/17 午前10時30分〜

(5月第3主日・年度第20主日)

主日礼拝

神との和解

説 教 金井信生 牧師

聖 書 ローマ5章1〜11節より

讃 美 新聖歌8

    新聖歌353

    新聖歌376

交読文 新聖歌37(詩篇第119篇)


説教要旨


永遠にわたる魂の安息は、主イエス様のほかに与えることのできる方はありません。


1.安息への招き


 人それぞれ、負っている重荷は違いますが、主イエスは「すべて」の人を休ませようと招いておられます。それは、すべての人が持っていて、人間の知恵や力では解決できない、罪と死の重荷に対する解決を与えるためです。

 イエス様は私たちの罪のさばきを代わって受けて十字架にかかり、死んでくださいました。そしてイエス様を救い主と信じる人に罪の赦しを与えられました。罪を裁かれ、責められる恐れがなく、神様を「天の父」と呼ぶことのできる心の平安が与えられました。 

 さらに、墓に葬られたイエス様は復活して天に昇られました。これはこの世での生涯だけで終わるのではなく、イエス様を信じる者には永遠の命が与えられており、死の先にある永遠の御国を望みながらきることの約束です。

 この世に生きている間は、必ず何らかの問題はあります。しかしこの罪と死の恐れから解放されている人は、それだけでもいつも感謝が絶えません。


2.キリストの与える平安


 イエス様の救いは「知恵のある者や賢い者に隠し、幼な子に」あらわされました。「幼な子」のように、自分には知恵も力も無いことを認めて、自分を助けることのできる方に委ねる者に救いがあるからです。

 イエス様は神の御子ですが、苦しめられてもご自分の力を自分を救うためには一切用いず、天の父に委ね、平安のうちを歩まれました。このキリストがもっておられる平安を共にいただくために、「わたしのくびきを負なさい」と、主と共に歩むよう招いておられるのです。

 私たちはしばしば疲れ、平安を失います。孤独を感じることもあります。でも、どんな時でも主イエス様が共におられることを知ると、平安に満たされます。


3.キリストに学ぶ


 イエス様はまた「わたしに学びなさい」とも言われます。弟子たちはイエス様のそばにいて、様々な教えを学びました。しかし、イエス様が天に帰られた後に弟子たちが記したのは、イエス様のお言葉集ではなく、イエス様がどんなお方だったかを間近に見た証しとしての福音書でした。つまり弟子たちはイエス様の教えに学ぼうとしたのではなく、イエス様そのものを学ぼうとしたのです。

 どんな迫害を受けても、孤独を味わっても、天の父なる神様を仰ぎ、一切を委ねておられた「信仰」を、またふがいない弟子たちをも見捨てないで、必ず世界に福音を伝える器になると信じる「希望」を、そしてどんな弱い人も、汚れた病として遠ざけられている人も、親しい友として近づきいやされた「愛」を、弟子たちは主から学びました。


 これまでの自分だったら遠ざけよう、逃げようとして。かえって不安を増していました。しかし、イエス様に従ってみると、いつも平安でいられます。どんなことでも感謝し、喜ぶことができます。弟子たちは、自分たちが経験したこととして、主の招きの言葉が真実であることを私たちにも伝えています。