『しっかりするのだ』マタイ14章22〜33節より

2015年3月8日・郡山キリスト共同教会、金井信生牧師による主日礼拝説教


2015/3/8 午前10時30分〜

(3月第2主日・年度第10主日)

主日礼拝

しっかりするのだ

説 教 金井信生 牧師

聖 書 マタイ14章22〜32節より

讃 美 新聖歌19

    新聖歌285

    新聖歌248

交読文 新聖歌25(詩篇第73篇)


説教要旨


 主は「心安かれ、我なり、恐るな」と、嵐に悩む私たちを今も励まし支えておられます。


1.使命に生かされる平安


  弟子たちの乗る舟は波に悩まされますが、もともと舟に乗り込ませられたのは主であり、主は山上から祈り続けておられました。私たちの歩みも闇の湖上のような時があるかもしれませんが、天におられる主は、いつも私たちを見守っておられます。

 漕ぎ悩んでも、戻るのではなく、命じられたとおりに向こう岸に進もうとする弟子たちに、主は近づいて助けてくださいました。

 「しっかりするのだ」とは、主からの使命の道に進もうとする者に「勇気を出しなさい」(ヨハネ16:33)と励まされる言葉です。


2.主が共におられる平安


 主の言葉に平安を得た弟子たちですが、ペテロはさらに自分も水の上を歩きたいと願いました。主の言葉に従ってしばらくは水の上を歩くことができましたが、ペテロは波を見て恐ろしくなり、おぼれかけてしまいました。

 「わたしである」との言葉は、かつてモーセに「わたしは、有って有る者」(出3:14)、「わたしは主である」(出6:2)と語りかけられた、主ご自身の存在と力を表す名乗りです。

 このお方を主と信じ、仰ぎ続けるなら、嵐も波も問題ではなくなり、平安をもって一歩一歩を踏み出すことができるのです。


3.主の手にすがりながら


 おぼれかけるペテロに、主はすぐに手を伸ばして助けてくださいました。大胆な信仰を持つときがあっても、また心がくじけるときもあるのがわたしたちです。旧約の大預言者エリヤでもそんな時がありました。

 主はわたしたちのこのような弱さもご存知です。そして一切を御手に握ってくださっています。頑張って突っ張って、何かあるとつぶれたり逃げ出す人間的な力ではありません。

 「完全な愛は恐れを取り除く」(第一ヨハネ4:18)とヨハネが証しするのは、主にすべてが受け入れられ、守り支えられていることを信じているからです。

 わたしたちも「恐れることはない」と励まされる主に支えられてそれぞれの働きを精一杯つとめ、弱さの中にも主のあわれみがあることに安心する信仰者でありたいと願います。

  創造者また全能者ある主に守り導かれ、平安を得て進みましょう。


マタイ14章22〜32節より


14:22

それからすぐ、イエスは群衆を解散させておられる間に、しいて弟子たちを舟に乗り込ませ、向こう岸へ先におやりになった。

14:23

そして群衆を解散させてから、祈るためひそかに山へ登られた。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。

14:24

ところが舟は、もうすでに陸から数丁も離れており、逆風が吹いていたために、波に悩まされていた。

14:25

イエスは夜明けの四時ごろ、海の上を歩いて彼らの方へ行かれた。

14:26

弟子たちは、イエスが海の上を歩いておられるのを見て、幽霊だと言っておじ惑い、恐怖のあまり叫び声をあげた。

14:27

しかし、イエスはすぐに彼らに声をかけて、「しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない」と言われた。

14:28

するとペテロが答えて言った、「主よ、あなたでしたか。では、わたしに命じて、水の上を渡ってみもとに行かせてください」。

14:29

イエスは、「おいでなさい」と言われたので、ペテロは舟からおり、水の上を歩いてイエスのところへ行った。

14:30

しかし、風を見て恐ろしくなり、そしておぼれかけたので、彼は叫んで、「主よ、お助けください」と言った。

14:31

イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかまえて言われた、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」。

14:32

ふたりが舟に乗り込むと、風はやんでしまった。