『木は実でわかる』マタイ12章22〜37節より

2015年2月8日・郡山キリスト共同教会、金井信生牧師による主日礼拝説教


2015/2/15 午前10時30分〜

(2月第3主日・年度第7主日)

主日礼拝

木は実でわかる

説 教 金井信生 牧師

聖 書 マタイ12章22〜37節より

讃 美 新聖歌2

    新聖歌229

    新聖歌361

交読文 新聖歌24(詩篇第67篇)


説教要旨


 「実」とは私たちの口からでる言葉ですが、「良い実」を実らせるためには聖霊の助けと導きが必要です。


1.木は実でわかる


  「良い実」について、7章では行いを意味していましたが、ここでは言葉が問われています。

 私たちが人に向かってどんな言葉を語ったかは、天の神様がおぼえておられ、やがて責任を問われて裁かれる時が来ると主は戒められました。

 「悪い実」として人を傷つけるような言葉を発しないように、神様の前にいることをおぼえなければなりません。人との関係は、いつも神様との関係がともなっているのです。


2.キリストに結ばれる


 口から出る言葉は、「心からあふれるもの」です。神様との関係が、恐れを抱きながらではなく、感謝と喜びにあふれたものとなれば、言葉もまた人を生かすものとなります。

 この前後に語られている、聖霊と私たちの心との関係を見ると、「木と実」とは、主と私たちのことでもあることがわかります。

  イエス様は、悪霊を追い出すことを批判する人たちに、「神の霊」によることを証しされます。

 私たちの心を悪いもので満たし支配している「強い人」すなわち罪の力を、主は聖霊によって打ち破り、愛と命の中に移してくださいました。「聖霊に対して言い逆らう」とは、この主の救いを拒むことです。

 聖霊の助けと導きによって主イエスを信じ、結ばれていくときに、ヨハネ15章に約束されているように、豊かな実を結び、神様の栄光をあらわす生涯に導かれるのです。


3.キリストが内に住まわれる


 43節以下に、私たちの心が「家」にたとえられています。

 同じ家でも誰が住むかによって、その家の様子も、訪ねてきた人にもたらすものも違ってきます。

 自分の意見よりも、人の意見や世の習わしに縛られていったり、悪い思いを正当化してしまったりするのは、悪い主人にその心が治められているからです。

 聖霊は、私たちの心の内に主キリストを住まわせてくださいます。

日々の歩みに、賛美と祈り、御言葉があるのは、内に住んでくださっている主イエス様との交わりのためです。聖霊の助けと導きによって、私たちの心は主による平安と感謝に満たされ、言葉においても良い実を結ぶものとなるのです。



マタイ12章22〜37節より

 

12:22

そのとき、人々が悪霊につかれた盲人のおしを連れてきたので、イエスは彼をいやして、物を言い、また目が見えるようにされた。

12:23

すると群衆はみな驚いて言った、「この人が、あるいはダビデの子ではあるまいか」。

12:24

しかし、パリサイ人たちは、これを聞いて言った、「この人が悪霊を追い出しているのは、まったく悪霊のかしらベルゼブルによるのだ」。

12:25

イエスは彼らの思いを見抜いて言われた、「おおよそ、内部で分れ争う国は自滅し、内わで分れ争う町や家は立ち行かない。

12:26

もしサタンがサタンを追い出すならば、それは内わで分れ争うことになる。それでは、その国はどうして立ち行けよう。

12:27

もしわたしがベルゼブルによって悪霊を追い出すとすれば、あなたがたの仲間はだれによって追い出すのであろうか。だから、彼らがあなたがたをさばく者となるであろう。

12:28

しかし、わたしが神の霊によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである。

12:29

まただれでも、まず強い人を縛りあげなければ、どうして、その人の家に押し入って家財を奪い取ることができようか。縛ってから、はじめてその家を掠奪することができる。

12:30

わたしの味方でない者は、わたしに反対するものであり、わたしと共に集めない者は、散らすものである。

12:31

だから、あなたがたに言っておく。人には、その犯すすべての罪も神を汚す言葉も、ゆるされる。しかし、聖霊を汚す言葉は、ゆるされることはない。

12:32

また人の子に対して言い逆らう者は、ゆるされるであろう。しかし、聖霊に対して言い逆らう者は、この世でも、きたるべき世でも、ゆるされることはない。

12:33

木が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければ、その実も悪いとせよ。木はその実でわかるからである。

12:34

まむしの子らよ。あなたがたは悪い者であるのに、どうして良いことを語ることができようか。おおよそ、心からあふれることを、口が語るものである。

12:35

善人はよい倉から良い物を取り出し、悪人は悪い倉から悪い物を取り出す。

12:36

あなたがたに言うが、審判の日には、人はその語る無益な言葉に対して、言い開きをしなければならないであろう。

12:37

あなたは、自分の言葉によって正しいとされ、また自分の言葉によって罪ありとされるからである」。