創世記1章26~28節

2015/2/4(水)・5(木)聖研

26~28節「人間の創造」

 

 第六日後半、最後に創造されたのが人間です。

この創造に関しては、神様の言われた中に、いくつかの特徴ある言葉があります。


「われわれ」:神様がご自身を複数で呼んでおられることは、三位一体の神について暗示するものと考えられ、文法的には神の権威あるいは威厳を表すとも言われています。


「かたどって」:ここでの「神のかたち」とは、


①自由意志を持つ者、

②愛をあらわすことのできる者、

③(他の被造物にまさって)全知全能に近い者などの意味が考えられます。


ただ、かたちとは本来彫像のことであり、5:3では息子は父親に「かたどった」ものとされています。

人間が「神の子」として、神の意志を継ぐ者としてその能力を用いることが神の造られた意図に沿うことと言えます。


人間は、あくまでも神によって造られた被造物ですが、神の姿に似せて造られた、特別な存在であり、特別な役割があります。わざわざ神のかたちとして偶像を作ることもなく、王など誰か特別な人を神格化するのでもなく、一人ひとりに神との交わりが期待され、また神に代わって支配する存在と役割です。


ただひとり神と向き合うことを知る人間が地に満ち、地を治めるのは、すべての被造物が、神のために生かされていくためです。


「ただ少しく人を神よりも低く造って、栄えと誉とをこうむらせ、これにみ手のわざを治めさせ、よろずの物をその足の下におかれました。」詩篇8:5〜6


との告白には、人間に与えられた使命と、これを全うするためには神の助けが必要であることが述べられています。

 

29~30節「食物について」


 人間と動物たちに食物として植物が与えられます。人間には「種を持つ草」、すなわち穀物と果樹が与えられ、他の動物たちには青草が備えられました。


〔肉食の問題〕

 肉を食べることについて、ここでは言及されていません。はっきりと肉食について触れられるのは、大洪水後です(9:3-4)。

 それまで肉食が必要なかったのは、エデンの園においては果樹が豊かにあったこと(2:9)、

 また園からの追放後も、地は豊かに潤い(2:6)、

 食べるに困ることはなかったためと考えられます(3:18)。

 しかし大洪水後肉食が許されたのは、地表が荒れ、あるいは地形も気候も変わり、耕作だけでは生き延びることもできない過酷な環境に、ノア以来の人々は生きなければならなかったと想像されます。


 本来人間も動物も草食で良いとの考えは、終末においても示されています。

雌牛と熊とは食い物を共にし、牛の子と熊の子と共に伏し、ししは牛のようにわらを食い、イザヤ11:7

川の両側にはいのちの木があって、十二種の実を結び、その実は毎月みのり、その木の葉は諸国民をいやす。黙示録22:2


〔品種改良〕

地を支配することを命じられた人間は、その知恵を生かして、自然界にあるものを、よりよいものに改良することによって、創造のみわざに加わってきました。ただし、行き過ぎた改良や利潤主義のために、時には自然界からしっぺ返しをくらうことにより、人間の知恵の未熟さや欲の深さなどもまた教えられ、神様の造られた自然の中での謙虚さをも学ばされます。

 

31節「完成した創造のみわざ」


 創造のみわざはすべて終りました。神様がすべてをごらんになると、「はなはだ良かった」のです。「はなはだ」と加えられたのは、被造物それぞれが神の目に「良い」とされ、互いの関わりにおいて「良い」ものであり、神との関係において「良い」からです。


ところがしばらく後で、神様は「わたしは、これらを造ったことを悔いる。」6:7


と言わなければならなくなります。これは、自然界を正しく治めることのできなくなった人間の罪によって、引き出された言葉です。創造主との正しい関係を失えば、人間は自分の心と行動を正しく治めることができず、罪のためにこの世界を破壊してしまうのです。