『十二弟子の選び』マタイ10章1〜4節より

2015年1月25日・金井信生牧師による主日礼拝説教

…動画37:44〜

しかしイエス様がこの人を選び招いてくださった。それは教会の原点です。……神様は私たち一人一人を愛し、名を呼んで選んで下さった。導いて下さっている、その事だけが教会の交わりを支えるものであり、またそこに立って、お互いを受け入れていく時に、お互いを喜びあい、お互いの歩みについて、今は苦しいかもしれない、今は落ち込んでいるかもしれない、今はまだ、ちょっと乱暴かもしれない、荒削りかもしれない、でも神様によってこの人が必ず持ち運ばれるところがある、私も神様によって生かされ用いられていく、その希望を持って、共にただ主だけを仰ぎながら歩んでいくところに教会の姿がある、そして神様の喜ばれる御業が進められ、神様が愛をもって治められる神の御国が建て上げられます。


2015/1/25 午前10時30分〜

(1月第4主日・年度第4主日)

主日礼拝

十二弟子の選び

説 教 金井信生 牧師

聖 書 マタイ10章1〜4節より

讃 美 新聖歌142

    新聖歌343

    新聖歌426

交読文 新聖歌14(詩篇第37篇)


説教要旨


 イエス様は宣教の働きのために12人の弟子を選ばれました。


1.12人を選ぶ


 「12」の数は決して偶然ではありません。旧約時代のイスラエル12部族に代えて、イエス様は新しいイスラエル、すなわち神の国である教会を建てるために、この12人をお選びになられました。

 イスラエル12部族は、ヤコブの子どもの12兄弟そのままではありません。神様の選びによって、いくらかの手が加えられています。

 12弟子の選びも、選ばれた基準は、ただイエス様が望まれたということだけです。


2.選ばれた12人


 シモンは「ペテロ(岩)」と呼ばれます。後に彼の信仰告白に対して、イエス様は「この岩の上にわたしの教会を建てよう」(16:18)と告げられますが、もともとは頑固な人だったのかもしれません。

 アンデレは、主のもとに人を導く人でした。

 ヤコブとヨハネも漁師の兄弟で「ボアネルゲ(雷の子)」とあだ名されるほど気性の激しい人でした。ヤコブは早くに殉教しますが、ヨハネは12弟子の中で最後まで残り、「愛の使徒」と呼ばれるほどになりました。

 ピリポはギリシャ語名で、後にギリシャ人がイエス様にお会いしたいと取り次ぎを頼んでいます。 物静かに黙想するバルトロマイは、イエス様から「その心には偽りがない」(ヨハネ1:47)と評されています。

 トマスは主の復活を疑ったことで知られますが、正直な人でした。

 マタイは自分がローマ帝国に協力する取税人で、人々から快く思われていなかったことを隠さずに記しています。

 「熱心党」は逆にローマの支配に反発するグループです。

 イスカリオテのユダは、最後まで霊の目が開かれない人だったようです。


3.主の選びの中に


 主の選びは、クリスチャンらしいとかふさわしいということとは違います。イエス様が一人ひとりをかけがえのない存在と評価し、弟子として受け入れ、教え導き、また用いようとしてくださっていることをただ感謝して受け入れることが大事です。

 主を中心とした交わりの中で互いを受け入れ、尊ぶ交わりを築いていくときに、小さなことで区別し差別することの多いこの世にあって、イエス様の導かれる新しい神の国が実現していくのです。



マタイ10章1〜4節より


10:1

そこで、イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊を追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやす権威をお授けになった。

10:2

十二使徒の名は、次のとおりである。まずペテロと呼ばれたシモンとその兄弟アンデレ、それからゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、

10:3

ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ、

10:4

熱心党のシモンとイスカリオテのユダ。このユダはイエスを裏切った者である。