創世記1章5~13節

2015/1/21(水)・22(木)聖研

名をもって呼ばれる神

 

創造された「光」は「昼」と呼ばれ、分けられた「闇」は「夜」と呼ばれ(名づけられ)ます。名をつけ、その名を呼ぶということは、呼ぶ者と呼ばれる者の間に関係があることであり、神様は造られたものに対して、決して放置するのでなく、目的をもって名を呼ばれます。


関係を持ち:

「ヤコブよ、あなたを創造された主はこう言われる。イスラエルよ、あなたを造られた主はいまこう言われる、「恐れるな、わたしはあなたをあがなった。わたしはあなたの名を呼んだ、あなたはわたしのものだ。」イザヤ43:1)、


そのものの性質を知り:

「主はモーセに言われた、「あなたはわたしの前に恵みを得、またわたしは名をもってあなたを知るから、あなたの言ったこの事をもするであろう」。出33:17)、


期待をかけ:

「彼らは皆、わたしの名によって呼ばれる者。わたしの栄光のために創造し形づくり、完成した者。」イザヤ43:7:新共同訳)


 やがて被造物の冠として造られた人間は、家畜や鳥や獣に名をつけることを通して、創造のみ業に参加する特別な存在であることが明らかになってきます。


6~8節「おおぞらの創造」


第二日の創造は「おおぞら」すなわち、地を広く覆っている天蓋です。この大空は水と水を分けるものですが、二つの「水」については、次の7節に大空の上の水と下の水と言われています。それぞれ、雨や雪の源と考えられていた、天に蓄えられている水と、地上に見ることのできる水(主として海:9-10節)を指しています。

 またこの「おおぞら」は「天」とも呼ばれていますが、これは天の一部としての呼び方で、一連の創造のみ業が語り聞かされている人間にとって最も近く、日常的な「天」だからです(14節)。


9~10節「陸と海の創造」


第三日は、陸の創造です。これは光と闇、上の水と下の水に続いて、第三の分離として水が一つ所に集められ、陸と海とが分けられたものです。こうして命あるものが創造される備えが進められました。


水に命じて一つ所に集まらせられた神様は、陸も海も支配し、その境界を定められました。


「ここまでは来てもよい、超えてはならぬ」ヨブ38:8-11)。

「あなたはこれを衣でおおうように、大水でおおわれた。・・・

あなたは水に境を定めて、これを越えさせず、」詩篇104:5-9

「紅海を二つに分けられた者に感謝せよ」詩篇136:13


「海」はもちろん主の手によって造られたものですが、陸に住む人間から見ると、力の及ばないところとして、「死」を象徴するものでもあります。


「あなたはわたしを淵の中、海のまん中に投げ入れられた」ヨナ2:3

「海はその中にいる死人を出し、死も黄泉もその中にいる死人を出し、」黙示録20:13

「先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった」黙示録21:1


イエス様が水(ガリラヤの海)の上を歩き、またペテロを同じように歩かされたお姿の中に、地も海も支配される御力は現れています。生死の境界さえも主の定めの中にあり、主に結ばれている者は死に飲み尽されることがないのです。


11~13節「植物の創造」


次に植物が創造されました。これは命あるものの創造の始めです。しかしここには「造られた」とは記されず、神様が地に「草を、…果樹を、芽生えさせよ」と命じられ、そのようになっています。草や木が芽生え育っていくのは、その後も継続するからであり、その働きは主に大地が今後も担っていくからです。また、そこにはそれぞれ(種類に従って)と、大きく分ければ草と木であり、さらにその中に多様な種があり、創造の秩序があることを示しています。


 命あるものの特徴は実を結ぶことです。神様は続いて動物にも人にも「産めよ、増えよ」と祝福を与えられました。罪と死の滅びの中から救い出され、永遠の命を与えられた者に神様が期待しておられるのも実を結ぶことです。個人的には悔い改めの実(マタイ3:8)、聖なる生活の実(ローマ6:22)、聖霊の実(ガラテヤ5:22)を結び、また御言の種を蒔いて、証の実、伝道の実を結ぶ者になりましょう。御言を通して主は収穫を約束し(詩126:5)、祝福を与え続けておられます。