『主に従え』列王紀上18章20〜24節より


2015/1/17 金井信生牧師による新年聖会Ⅰ説教動画アーカイブ


2015/1/17 午後7時30分〜

新年聖会Ⅰ

主に従え

説 教 金井信生 牧師

聖 書 列王紀上18章20〜24節より

讃 美 新聖歌263

    新聖歌344

    新聖歌394


説教要旨


 ソロモン王の死後、イスラエルは南北に分裂します。南王国ユダは、ダビデ王の子孫が代々の王となりましたが、北イスラエルの方は度々王家が変わり、政治的にも宗教的にも乱れていました。特にアハブ王はシドンの王女イゼベルを妻に迎え、カナン地方で広く拝まれていたバアルという神を中心とする偶像礼拝を国に広め、主の預言者たちを苦しめていました。


 預言者エリヤはこのアハブ王に対し、主の言葉によって対決し、国をまことの神への信仰に立ち帰らせようと努めました。


1. まことの神はだれか


 「バアル」は、カナン地方の主神で、豊作をもたらす神として信じられていました。雨を降らし、病を癒やし、他の民族から守ってくれるという御利益もありました。


 エリヤがアハブに告げた最初の言葉は、「主の言葉のないうちは、数年雨も露もない」というものです。雨を支配しているのは、アハブ王の信じるバアルではなく、主なる神であることを宣言しました。


 そして時が満ちて、エリヤは、民に対してバアルにつくのか、主につくのかの決断を迫り、450人のバアルの預言者と対決します。バアルの預言者たちは1匹の雄牛をその祭壇に置き、バアルの名を呼び、自らの体を傷つけたりして、祭壇の周りを踊りますが、何の変化もありませんでした。一方エリヤは壊れていた主の祭壇を建て直し、その上に雄牛を置き、薪にも雄牛にも水を注ぎます。そして彼がアブラハム、イサク、ヤコブの神に祈りますと、天からの火によってすべては焼き尽くされます。こうして民は主こそ神であると知るものとなりました。

 

2. 偶像に惑わされるな


 バアルに代表される偶像には、共通する特徴があります。


 一つは、経済的な繁栄にあらわされるように、「数」の多さを求めます。エリヤは一人でしたが、対決するバアルの預言者は450人、アシラの預言者は400人でした。


 また、血筋や経歴などの出自、個人的な能力などを誇ります。王家同士の政略結婚や、神々の関わり合いなどを事細かに言い表します。


 そして、人を生かすのではなく無理を強いて、苦しめていきます。祈りがなかなか聞かれないバアルの預言者たちは、ついに自分たちの身を傷つけながら叫び続けました。


 このような、自分たちの利益を求め、数の多い者、力の強い者を崇拝する社会を生み出すのが、人間の欲望が形となった偶像です。


 しかし、唯一の主と、主に従う人はまったく違います。「これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである」(ゼカリヤ4:6)「恐れるな、小さい群れよ。御国を下さることは、あなたがたの父のみこころなのである」(ルカ12:32)などと教えられているように、この世的な誇りに一切たよりません。また、弱い者、小さい者を顧み助け、一人一人が生かされていく交わりを生み出していきます。


 また、自分で自分を責めたり、責めるように強いられたりするのではなく、主が私たちに代わって傷つけられ、血を流し、命をささげてくださいました。


 今も、偶像と知らずに誤った考えが私たちを取り囲んでいます。エリヤは、ただ対決するのではなく、人々の目を開かせてまことの主に信頼し、このお方を礼拝する幸いに立ち帰らせようと努めました。だから主の導きと助けが常にあったのです。

  

3. 主の手に陥る幸い


 聖書の示している本当の「信仰」は「信心」とは違います。生ける真の神様に信頼して、自分の歩みも魂も委ねることです。


 アハブと対決するエリヤは、身に危険をおぼえますが、主に委ねて平安のうちを歩んでいます。最初は人里離れたケリテ川のほとりでからすに養われ、次にシドンのザレパテでひとりのやもめの家に宿りました。シドンは王妃イゼベルの出身地です。主は全治を治める神であるのですから、無人の地でも敵の本拠地でも、エリヤは主の守りを当然とすることができました。


 またやもめの家に食べ物が尽きそうになっていても、主が守られるエリヤが宿るのですから、尽きるはずがないと信じています。また病気の子どもも生き返りました。すべてこのやもめが主の言葉の真実を知るためでした。


 そしてカルメル山での大勝利に至るのですが、エリヤが最後に対決しなければならなかったのは、「自分」でした。勝利の後に、急にイゼベルの脅迫を恐れる思いにエリヤはとらわれ、逃げ出します。そして主に言ったのが「わたしの命をとってください」(19:4)「ただわたしだけ残りました」(19:10)という言葉です。


 エリヤの訴えに、主は風でも地震でも火でもなく、「静かな細い声」で答えられました。最前線に立ってアハブ王やバアルの預言者たちと対決したのは、確かにエリヤ一人です。しかし主はエリヤの知らないところで、七千人の信仰者たちを残しておられました。背後でささげる彼らの必死の祈りがエリヤの働きを支えていたのです。


 最後に残る信仰の課題は「わたし」をどうするかです。華々しい成果でも、重苦しい困難でもなく、「主に従え」と呼びかける静かな細い声を聞く、主との交わりの中に、平安と希望を生み出す源泉をもたせていただきましょう。


列王紀上18章20〜24節より


18:20

そこでアハブはイスラエルのすべての人に人をつかわして、預言者たちをカルメル山に集めた。

18:21

そのときエリヤはすべての民に近づいて言った、「あなたがたはいつまで二つのものの間に迷っているのですか。主が神ならばそれに従いなさい。しかしバアルが神ならば、それに従いなさい」。民はひと言も彼に答えなかった。

18:22

エリヤは民に言った、「わたしはただひとり残った主の預言者です。しかしバアルの預言者は四百五十人あります。

18:23

われわれに二頭の牛をください。そして一頭の牛を彼らに選ばせ、それを切り裂いて、たきぎの上に載せ、それに火をつけずにおかせなさい。わたしも一頭の牛を整え、それをたきぎの上に載せて火をつけずにおきましょう。

18:24

こうしてあなたがたはあなたがたの神の名を呼びなさい。わたしは主の名を呼びましょう。そして火をもって答える神を神としましょう」。民は皆答えて「それがよかろう」と言った。