
2015/1/11 金井信生牧師による主日礼拝説教動画アーカイブ
…動画17:00〜
「世の中には人の罪を指摘し、悔い改めなさいと教える教えは沢山あります。
もちろんそれはそれで意味はあります。
でも、じゃあ、悔い改めた後、どうすれば新しい生き方ができるのか?
これは簡単ではありません。
自分の罪を終わらせるだけではなくて罪から離れた生活、罪に打ち勝つ生活のためにどうしたらいいのか?
それはイエス・キリストによる救いしかないという事を聖書は教えています」。
2015/1/11 午前10時30分〜
(1月第2主日・年度第2主日)
主日礼拝
洗礼者イエス
説 教 金井信生 牧師
聖 書 マタイ3章1〜12節より
讃 美 新聖歌8
新聖歌195
新聖歌353
交読文 新聖歌15(詩篇第40篇)
説教要旨
『洗礼者イエス』(マタイ3:1〜12)
主イエスに先だつヨハネの働きは預言者として救い主の到来を告げ、悔い改めを迫るものでした。
1.悔い改めのバプテスマ
ヨハネが告げる「悔い改めよ、天国は近づいた」とのメッセージに、多くの人が自分の罪を告白し、悔い改めのしるしとしてバプテスマを受けました。
集まってきた人々の中にはパリサイ人やサドカイ人もいました。彼らに対して、ヨハネはさらにきびしく悔い改めを迫ります。どちらも宗教家でしたが、「悔い改めにふさわしい実」である行いが伴っていなかったからです。
そしてヨハネは、まもなくおいでになる救い主について「聖霊と火によってバプテスマを授ける方」と紹介します。
2.聖霊と火のバプテスマ①
「バプテスマ」とは「浸す」という言葉がもとになっています。水の中に浸されることによって、罪に支配されていた古い自分が死ぬことを意味します。しかしただ自分の意志で罪を捨てると決心しても、その後の歩みは不確かで弱いものです。
「聖霊と火のバプテスマ」は、火が物を焼き尽くすように、イエス様の十字架の救いを信じることによって、神様がすべての罪を赦し清めてくださることです。
聖霊は、私たちの心に主イエスを信じ仰がせ、十字架の救いを受け入れる信仰を与えてくださいます。そして、罪赦された確信と喜びに満たしてくださるお方です。
3.聖霊と火のバプテスマ②
罪のないイエス様が、あえてバプテスマを受けられたのは、私たちがイエス様を模範として、その後に従って歩むためです。
ヨハネのバプテスマは罪を捨てることにとどまっていましたが、聖霊のバプテスマは、「キリストが、わたしのうちに生きておられる」(ガラテヤ2:20)信仰に立たせるものです。また、「御霊の実」(ガラテヤ5:22-23)を結ばせます。
復活されたイエス様の約束された「聖霊によるバプテスマ」(使徒1:5)は、ペンテコステの日に弟子たちに降りました。弟子たちは聖霊に力づけられ、主イエスを十字架につけた町から始まって、全世界に向かって福音を宣べ伝え始めました。
私たちが聖霊に満たされて愛のわざに励み、福音を証しすることをイエス様は今も願っておられ、信じて求める者に喜んで聖霊を送ってくださいます。聖霊に生かされる新しい歩みに進みましょう。
マタイによる福音書 第三章1〜12節
3:1
そのころ、バプテスマのヨハネが現れ、ユダヤの荒野で教を宣べて言った、
3:2
「悔い改めよ、天国は近づいた」。
3:3
預言者イザヤによって、
「荒野で呼ばわる者の声がする、
『主の道を備えよ、
その道筋をまっすぐにせよ』」
と言われたのは、この人のことである。
3:4
このヨハネは、らくだの毛ごろもを着物にし、腰に皮の帯をしめ、いなごと野蜜とを食物としていた。
3:5
すると、エルサレムとユダヤ全土とヨルダン附近一帯の人々が、ぞくぞくとヨハネのところに出てきて、
3:6
自分の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けた。
3:7
ヨハネは、パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けようとしてきたのを見て、彼らに言った、「まむしの子らよ、迫ってきている神の怒りから、おまえたちはのがれられると、だれが教えたのか。
3:8
だから、悔改めにふさわしい実を結べ。
3:9
自分たちの父にはアブラハムがあるなどと、心の中で思ってもみるな。おまえたちに言っておく、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子を起すことができるのだ。
3:10
斧がすでに木の根もとに置かれている。だから、良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれるのだ。
3:11
わたしは悔改めのために、水でおまえたちにバプテスマを授けている。しかし、わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで、わたしはそのくつをぬがせてあげる値うちもない。このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう。
3:12
また、箕を手に持って、打ち場の麦をふるい分け、麦は倉に納め、からは消えない火で焼き捨てるであろう」。