創世記1章1節

創世記 1章1節「はじめに神は天と地とを創造された」

2015/1/7(水)・8(木)聖研

「名作の序言には、問題の提出があり、解答の予告がある。内容の発表があり、全体の縮図がある」と内村鑑三の言葉が伝えられていますが、まさにこの一節に聖書の最初の真理が記されています。

同志社を興した新島襄は、アメリカへ密航する途中、漢訳聖書のこの言葉に入信を決意しました。この一節を受け入れることができれば、聖書全体、また神のなさった奇跡も、イエス・キリストの救いも信じられるのです。

 

1.「はじめに」

 

①すべての物事には由来があり、原因があることを教えます。

創世記は「初め」の書です。天地宇宙の初め、月日の初め、生命の初め、人間の初め、そして罪の初め、文化文明の初め、礼拝の初め等々が記され、また後の65巻に現れる、教理も啓示も真理も、すべてこの創世記の中にその種子、予型があります。

 

②「終り」があることを予感させます。

なにごとでも初めがあれば、終りがあります。聖書は、一週や一年のような循環を重ねながら、決して輪廻ではなく、一つの目的をもって直線的に「終り」を目指す計画があることを教えています。

また、楽しみでも苦しみでも、人生の様々な局面にも必ず終りがあります。そして人生の最後は、造り主である主の前に立つのです。その時に、日々の労苦は決して無にならず、一つ一つが主の前に積み上げられていることを知る人には希望があります。

 

2.「神は」

 

①聖書は神の存在を論証証明するのではなく、前提として記されています。どの時代、どの国にも通用する、人間社会の縮図が描かれる聖書の世界で、天地を創造された神様はわたしたちにとってどのような存在なのか、どこに導こうとしているのか、「神」がおられるというこの一句から、期待をもって読み進めることができます。

 

②1章から2章と、常に「神」は主語です。創造の主体であり、今も世界の歴史と人の生涯において、神が主であることをおぼえるところです。

 

③「神」と訳されているのは「エロヒーム」という語です。

「エル」がすでに「神」の意味ですが、複数形で表すことによって神の大能、力、また栄光を表しています。あるいは神が三位一体の方であること、また創造が三位の神すべてによるみわざであることかとも、振り返ってみると思わせる言葉です。

 

3.「天と地とを」

 

「天と地」は宇宙全体を指します。

「天」は複数形の言葉です(詩19:1など)。聖書時代の人々の考えで「天」は三層に分けられていました。

 

①鳥が飛び、雲が浮かぶ天、

②太陽や月星が運行する天、そして

③神の御座があり、御使いたちが仕えている天です。

 

このように天を分けつつ、しかしまた、

「天も、天の天も、あなたをお納めすることができ」ないことも、聖書は示しています。(歴下6:18)。

天にあるものも地にあるものも、どんな被造物も、拝む対象ではありません。

また、どこにいても神様の手の中にあることに変わりありません。

 

4.「創造された」

 

ヘブル語では、「つくる」ことを表すために三つの言葉があります。

 

① バーラー(create):無から有を生じさせる意味で、もっぱら神の創造のみわざに用いられています。

② アーサー(make):材料をもってつくる意味で、最も一般的な「つくる」意味です。

③ ヤーツァル(form):形を与える意味で、成形することや、粘土を焼いて焼き物にするように、質的な変化を与えることを表す時に用いられています。

 

2章7,8節では人間の創造に関して、材料は土の塵(そこらにあるもの)で形づくられたと人間の体について物質的には何の変哲もないことを教えています。

 

イザヤ43章7節には

「わが栄光のために創造し(バーラー)、これを造り(ヤーツァル)、これを仕立てた(アーサー)」と三つの言葉がすべて含められた表現があります。

 

神様によって創造され生かされている私たちですが、神様のもとを離れて罪と汚れに満ちてしまった者でもあります。しかし、そんな私たちを救い出してきよめ、主に役立つしもべとされる恵みは三重の創造によることが明らかにされる言葉です。今も世界の主である神は歴史を支配し、罪ある人を新しく造り変える創造の働きを続けておられるお方です。