『今は恵みの時』第二コリント6章1~10節より

『「わたしは、恵みの時にあなたの願いを聞き入れ、救の日にあなたを助けた」。見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である』。(コリント人への第二の手紙六章・2節)

金井信生牧師による主日礼拝説教動画アーカイブ 2015/1/4 新年礼拝

聖書箇所 コリント人への第二の手紙6章・1~10節より


2015/1/4 午前10時30分〜

(1月第1主日・年度第1主日)

新年礼拝

今は恵みの時

説 教 金井信生 牧師

聖 書 第二コリント6章1〜10節より

賛 美 新聖歌7

    新聖歌251

    新聖歌172

交読文 新聖歌30(詩篇第96篇)


説教要旨


『今は恵みの時』(第二コリント6:1〜10)

 

 主イエスの恵みによって救われたキリスト者は、神の恵みを世にあらわす器として用いられます。

 

1.恵みを無駄にしてはいけない

 お金や食べ物などは限りがあります。しかし神様の恵みは限りがないものです。ただ恵みを恵みとして受け取っていなかったり、何のために与えられているのを知らないと「無駄に」なります。

 パウロは「神と共に働く者」、つまり神様の御思いに沿って、恵みをいたずらに受けてはならないと勧めます。それはパウロ自身が恵みによる救いに感謝し、代価を求めずにキリストの恵みを届け続けてきたからです。

 

2.今は恵みの時、今は救の日

 イザヤが預言した「恵みの時、救の日」はすでに来ていると、パウロは宣言します。キリストによる救いは完成し、「すべてが新しくなった」(5:17)からです。

 救ってください、恵みをくださいと祈ることも必要です。しかしすでに救われている、恵みがわたしを取り囲んでいると信じて受け取り、感謝できることも幸いです。

 「今」から目を離して、昔は良かったとか、きっといつかいい日も来るだろうと、過去や未来ばかり見ると不信仰の罪に陥ります。

 主はパウロに「わたしの恵みはあなたに対して十分である」(12:9)と語られました。パウロも「彼(キリスト)のために苦しむことも、賜っている(恵みとして与えられている)」(ピリピ1:29)と説いています。

 私たちが恵みを決めるのではなく、主が今を恵みの時として与えてくださっていると信じるとき、その時々に必要な知恵や力が与えられ、恵みに輝く生き方が示されてきます。

 

3.恵みに生きる

 今を恵みの時として生きるとき、神に仕える者の実を示すことができます。それは主に信頼し、与え続ける歩みです。

 苦難や失望の中で、それでも「主よ感謝します」「信じます」と口にすることができたら、それは自分の力ではなく、主の恵みに助けられているからです。

 与え続けられたイエス様が、私たちにどんな豊かなものを与えてくださったか、そしてその後の世界にどんな大きな影響を与えたか、考えてみるときに、私たちも、自分にとって本当に必要な物が何か、主に求めるべきものは何かを、見失わないようにしたいと思います。

  主の恵みを恵みとして受け止め、これは周囲にもたらすため伝えるために与えられていることをおぼえ、今の日々が主からの恵みであることを感謝して歩みましょう。


コリント人への第二の手紙6章・1~10節


6:1

わたしたちはまた、神と共に働く者として、あなたがたに勧める。神の恵みをいたずらに受けてはならない。

6:2

神はこう言われる、「わたしは、恵みの時にあなたの願いを聞きいれ、救の日にあなたを助けた」。見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である。

6:3

この務がそしりを招かないために、わたしたちはどんな事にも、人につまずきを与えないようにし、

6:4

かえって、あらゆる場合に、神の僕として、自分を人々にあらわしている。すなわち、極度の忍苦にも、患難にも、危機にも、行き詰まりにも、

6:5

むち打たれることにも、入獄にも、騒乱にも、労苦にも、徹夜にも、飢餓にも、

6:6

真実と知識と寛容と、慈愛と聖霊と偽りのない愛と、

6:7

真理の言葉と神の力とにより、左右に持っている義の武器により、

6:8

ほめられても、そしられても、悪評を受けても、好評を博しても、神の僕として自分をあらわしている。わたしたちは、人を惑わしているようであるが、しかも真実であり、

6:9

人に知られていないようであるが、認められ、死にかかっているようであるが、見よ、生きており、懲らしめられているようであるが、殺されず、

6:10

悲しんでいるようであるが、常に喜んでおり、貧しいようであるが、多くの人を富ませ、何も持たないようであるが、すべての物を持っている。