旧約聖書には戦争のことが多く記されています。神が民に命じられる戦いには目的があります。神がイスラエルにカナンの地を与えられるのは、その地を偶像礼拝から回復させ、神の国を建国するためでした(18)。私たちの信仰の戦いの目的も、神の国建設です。イスラエルに勝利が決足していたように、私たちの信仰生活も勝利が決足しています(ヨハネ十六・33)。ただし、信仰の戦いには神の方法があります。
1節に敵の武力を見て恐れないようにと警告され、「主が共におられるからである」と教えています。敵や自分を見るのではなく、一緒におられる主を見ることが必要です。主と一緒にいることは思想ではありません。私たちが実際に主に従うことによってわかります。ところが、私たちは主に従えないこともあります。ですから、悔い改めが必要です。その中で自分の無力を悟り、主に信頼するようになります。
4節では「主が…戦って」と教えています。全知全能の神が戦われます。主に勝てる人はこの世界に存在しません。けれども命がけの戦いです。だから5節以降に、戦いに参加させてはいけない人が記されています。特に、恐れる人は家に帰されました。この場合の恐れは、不信仰が原因だからです。主が戦われるので、「あなたがたを救われる」と約束されているとおり、兵士の数が減っても大丈夫でした。
敵に降伏を勧める命令を(11)私たちに当てはめて考えてみましょう。私たちが主に従って喜びや平安や恵みや勝利を周囲の人に証しをします。それを聞いた人の中で、聖書やキリスト教に興味を持った人に声をかけ、相手の求めに従って福昔を伝えることです。このようにして、悪の霊との戦い(エペソ六・12)に勝利させていただきましょう。
【祈り】主よ、信仰の戦いが続いています。どうぞ主の勝利を与えてください。周囲の人があなたを知るように助けてください。アーメン
♪新聖歌四六〇
ベラカ2013年1月号より転載
執筆者:北大阪教会・山本敬夫氏