『すべての人を照らす まことの光』ヨハネ一・1~13

ヨハネはイエス・キリストの誕生を、人々の光としてこの世に来られたと紹介しています(9)。

それでヨハネは「光」をこの福音書のテーマの一つとして、イエス・キリストを描きました。そのために光であるキリストが繰り返し語られています。そこで光として来られたキリストについて学びます。


 

第一 啓示の光 

 イエスが人となってこの世に来てくださったのは、私たちに神を現わすためでした。その神は霊なるお方ですから肉眼で見ることはできません。 

ところが、神はひとり子であるキリストをこの世に人として遣わしてくださいました。それによって、神がどういうお方で、どういうことを私たち人間にしてくださるかということをはっきり分かるようにしてくださったのです。

 

私たちが十字架によって、罪が取り除かれるとき、目からうろこが落ちるように、神が分かるようになるのです。


 

第二 暗きに打ち勝つ光

「光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった」(5)とあります。ところが、光であるイエスは捕えられ十字架につけられて殺されました。ですから、人の光であるキリストは闇に消し去られたように思われました。 

しかし、キリストは死に打ち勝って三日目によみがえられたのです。ですからキリストは今も光です。

闇の中にいた者に、光を与えられたイエスのわざが二つ、ヨハネによる福音書に記されています。一つは「赦された姦淫の女」(八章)のことで、もう一つは「光を与えられた盲人」(九章)の出来事です。

 

 

 

第三 いのちを与える光

イエスは人にいのちを与える光なるお方です。聖書の「いのち」には、プシュケー(肉体のいのち)と「ゾーエ」(霊的ないのち、永遠のいのち)があります。 

ところが、私たちがイエス・キリストを信じて救われた結果、霊的ないのち、永遠のいのちを与えられて生きる者となるのです。そのときから霊的ないにちにふさわしい新しい生き方が始まるのです。

価値観が変わり、生きる意義、目的、ゴールも分かるようになるのです(ヨハネ十一・25)。