流浪の教会を読んで

おすすめの本

「流浪の教会」佐藤 彰・著

流浪の教会
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2011年9月4日の主日礼拝終了後、いのちのことば社の福音車ゴスペル号による信仰図書の出張販売があり標題の本を購入しました。

 

福島原発に最も近い教会が被災後、閉鎖となり教会員とともに流浪にある、という話は聖会での話の中で断片的に聞いたことはありましたが、その教会の牧師先生自らが日々の避難生活と祈りについてを時系列に沿ってまとめられた本であると知りとても貴重な本であるなあと思われたからです。

 

東日本大震災は世界中の誰もが知る未曾有の事態となりましたが、福島県は地震、津波に加え、原発事故による放射能汚染の只中にあり、今も複雑な状況にあります。同じ県に住まうものとして、この震災にどう対峙しながら日々の生活を過ごすのか。

 

主イエスへの信仰の下にある者として、何を祈り求めるべきかを自問自答するところも多くあり、同じ信仰に立つ福島第一聖書バプテスマ教会の佐藤牧師がリアルタイムに日々綴られた言葉に多くの主の恵み、主と共にある者の幸いを覚えました。(続く)

この世的には、被災した福島県では、そこに住まうものの怒りの声、不安の声、嘆きの声、失望の声、戸惑いの声、様々な負の感情に基づく言説がマスコミを通じ、日々の会話を通じ、またメディアやネットの中からも聞こえます。

 

それらに流され、便乗し、国、県、市、東電、政治家などへの辛辣な体制批判、批評、非難、中傷、デマ、煽動に勢いづく世の人の多い事を覚えます。

 

私自身、印刷物のデザインやインターネットのホームページ制作など情報伝達を日々の生業としている者でもあるので、被災地に住まうものとして情報を発信する、伝えていく事の重要性を感じ、そのような行動を起こそうと思い立ちましたが、いざ発信するとなると「何を」書くべきかがわからなくなり、躊躇しておりました。

 

イエス・キリストの救いにあずかり、信仰に招かれたものとして、この震災の後にこそ福音を伝えていく事の重要性と、その使命を感じながらも、どこから何から始めたら良いのか?

この世的な批評でもなく、嘆きでもなく、はたまた独善的な聖書解釈をするなどもっての他ですし、証しできる事もなく…。

私は「まだ、洗礼を受けて日も浅いから」と言い訳する自分に、信仰の弱さを覚えながら主の御旨に導かれるよう祈り求める日々でした。

 

そのような時に、やって来た福音車ゴスペル号でした。

「流浪の教会」を買い求め、自宅に帰り、すぐに読み始めました。

 

とても心動かされるものがありました。

 

また、ああこの本を一つの福音伝道のきっかけに用いるようにしたい、と同じ福島に住まう者として強く思わされました。

 

この本の中では、多くの主の恵み、主と共にある者の幸い、悲しくも楽しくある日々を悲楽しい(かなたのしい)とさえ表現しています。 

また主が福島第一聖書バプテスマ教会を、この時のため用いるため備えられたものであるのだなあとも感じました。
失ったものは、もっとも恵まれるものである。という確信にも導かれます。

 

本書の「避難生活報告 その18」の中で

 

「失ったから得るのでしょうか。多くのものを失い、私たちはこれまで以上に主イエスを見つめ、慕い、兄弟姉妹の結びつきの強さを実感しています」。と書かれてあります。

 

私自身も震災以降、多くの体験を通過させていただきました。

 

失うということの喪失感や空白の中に身を置く経験もありましたが、しかし、そこでも「失ったものは、もっとも恵まれるものである」。と感じさせられ、同じ信仰に立つものが同じ思いや、主の恵みへの感謝に満たされている事を、本書を通じても知らされ、福島に住まうものの福音伝道に必要な本、きっかけの一冊に値する稀有な本であると思います。

 

兄弟姉妹の皆様方にもご一読をおすすめいたします。

 

「私たちは弱いから強くて、何もないからすべてのものが与えられるのですから。ハレルヤ」。(「避難生活報告 その17」より)

 


伝道委員 H.M記