『イエスの模範』ルカ四・41~52

 ある人が、「すべての偉人の陰には、母の涙がある」、また、「母の感化で作られた品性は、結婚後、妻の感化をもってしても容易にこれを変えることはできない」とも言っています。それほど母の感化は大きいのです。

 

 私たちはそれぞれ母の愛情によって育てられます。その母の愛は増すことはあっても減ずることはありません。こういう愛は、これこそ神の愛の反映です。 

 

 この尊い母の愛に対して、私たちもまた、母のお陰であることを覚え心から感謝し、その期待に答える人生を送らせていただきたいものです。

 

 イエスはおおよそ30歳で公生涯に入られましたが、それ以前のことについて聖書はほとんど語っていません。ただし、イエスが肉体的に、精神的に(40、52)健全に成長されたことが感じられます。

 

 唯一12歳の時、過ぎ越の祭りでエルサレムへ上られたときの出来事が記されています。そのことからイエスは両親の深い、こまやかな愛情の中で育まれた精神的な成長を見ることができます(47、48)。

 

 お母さん方は、子どもは、自分がお腹を痛めて自分で産んだ自分の子どもである、という観念があってはならないということです。これは子どもに対する愛情の源にはなりません。子どもに対するは母親の愛情は、神が人間に対してお持ちになる愛情の標準にまで高められ、きよめられて初めて混じりけのない母親の愛情となるのです。神は私たちを救ってくださり、そのような親に成長させてくださるのです。ほんとうの親子の愛情は、人格と人格の触れ合いです。

 

 イエスは両親に「仕えられた」のです(51)。また社会的な成長も遂げられました(52)。それには、両親の生き方が大きく影響したことでしょう。両親は毎週シナゴーグで礼拝をささげられた。家庭礼拝をささげること、寝る前に宗教教育をすること、子どものために時間をかけて祈ることは大切です。「祈りの子は滅びないのです」。

 

 イエスは30歳まで大工として家族を支えられました。そして公生涯の終わりに、十字架におかかりになったとき、苦しみの中でお考えになっていたことは母マリヤのことでした。その母を愛弟子ヨハネにゆだねられたのです(ヨハネ一九・25~27)老老介護の時代です。両親はもとより(箴言二三・25~26)、主がおゆだねくださった人たちをお世話できることを栄誉と考えて仕えたいものです。