きょうの聖書の箇所は伝道の使命を思う度に、教会で読まれてきたみことばです。ここには伝道に対する「主イエスの願い」が記されています。イエスが今どんな深い、熱い思いをもって、日本の救いを願っておられるかを教えられるところです。
第一 イエスの洞察力
イエスはガリラヤの町々村々を巡回し、教え、宣教されました。イエスは霊的洞察力をもち、人の真相を見抜かれるお方でした。そのイエスには人々が霊的には病んでいて、悲惨であわれむべき状態に見えたのです。彼らの姿は「飼う者のない羊のように弱り果てて、倒れている」(36)という悲惨な姿でした。羊には三つの特徴があり人間の性質ときわめて似ているのです。①迷いやすい。②弱い。③安心がない。イエスはそのような人間を「深くあわれまれた」のです。それは、自分の肉体が、心が切り刻まれるような愛の思いで、深くあわれまれたのです。
第二 イエスの使命
マタイはイエスがいつもしておられたことを「御国の福音を宣べ伝え」(35、四・23)と書いています。つまりマタイは、イエスがいつも伝道しておられたと語っているのです。
そのイエスが弟子たちに「行って、『天国が近づいた』と宣べ伝えよ」(一〇・7)と命じておられます。つまり、弟子たちのするべきことはイエスのお働きを継続することでした。
イエスは今日の教会に対して、私たち個人に対しても「私と同じ仕事をしなさい」と言っておられるのです。
ですから、35節から38節までの言葉は私たちにとっては、悔い改めを迫る言葉です。
第三 私たちの使命
真の救いを知らない人々に対して「彼らを深くあわれまれた」イエスは弟子たちにこう言われたのです。「収穫は多いが、働き人が少ない。だから、収穫の主に願って、その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい」(37~38)と。
ある人たちは伝道者が起されるように祈りなさいとの意味に取ります。しかし、本当に祈っていく時、「私は福音を伝えているが、私の痛みを知り、私の憐れみを少しでも知って、分かち合う者になってほしい」というイエスの願いが迫ってくるのです。そこに私の伝道の動機があるのです(コロサイ一・24)。