『見捨てられない神』マタイ27章45~56節

 イエスがゴルゴダの丘で、十字架につけられた事実は、人類の歴史の中で最も悲劇的な、暗黒の出来事でした。なぜなら、人間が「神を十字架につけて殺した」からです。

 

 午後の三時頃、イエスは「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれました。これは、十字架上の第四言です。このみことばを中心に「見捨てられない神」についた学びます。

第一 自分の罪のためでなく


 イエスが十字架につけられ、すでに六時間近くが経っていました。その肉体的な苦しみはとてもことばで言い表すことができないものでした。それにもまして、精神的・霊的苦痛が激しく襲い掛かります。このような中で「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれたのです。

 

 イエスは弟子たちに捨てられ、人々からは辱められ、死刑に処せられたのです。その上神から見捨てられて叫ばれたのです。しかし、イエスが神に見捨てられたのは、決して自分の罪のためではありません

(ヨハネ一九・4、ルカ二三・15、マタイ二七・24)。


第二 人類の罪のため


 神が最も忌み嫌われるのは罪です。「罪とは『律法に逆らうことなのです』」(Ⅰヨハネ三・4)私たちを無限に愛してくだっさている創造主なる神に対する反逆、これが罪の基本的性格です。 

 

 罪の結果、神に見捨てられた者は、

 ①神を礼拝しません。

 ②感謝がありません。

 ③人生が虚しく、

 ④心が暗いのです。

 

 イエスが十字架にかかられ身代わりの死を遂げられたのは、罪のために神に見捨てられている人間を救うためです。そのために罪のない神の子イエスがいのちを捨てられたのです(Ⅱコリント五・21、ガラテヤ三・13)


第三 見捨てられない私たち


 イエスが私たちの代わりとなって罪の刑罰を受け、死なれたのは、私たちが見捨てられないためです。


 ①イエスが見捨てられ、私たちが義とされ、神の子とされるのです(Ⅰペテロ二・24、ローマ八・33~39)。

 

 ②イエスが見捨てられてくださり、神の愛を示し、注いでくださったのです(Ⅰヨハネ三・16)。

 

 ですから、私たちは苦しみ、悲しみ、困難、患灘に遭いますが、決して神に見捨てられることはないのです。見捨てられることのない神に目を向け、信頼し、ゆだねて歩みましょう。