『嵐を静めるキリスト』マタイ8章23〜27節

この聖書の箇所は、わたしたちがこの世の生活にあって何らかの不安に襲われ、こころに恐れを感じるとき、主レスを信じるならば救ってくださり、平安を与えてくださる、そうした出来事です。

この聖書の箇所から、神は、私たちのうちに起こる恐れをコントロールし、静めてくださるお方であることを学びます。

第1 クリスチャンをも襲う恐れ

 

イエスは弟子たちと船に乗り込み「湖の向こうに渡ろう」(ルカ8:22)と言われて、一同は船出したのです。ところが、「突然、会場に激しい暴風が起こって、船は波に飲まれそうになった」(24)のです。


弟子はイエスに従ったのに関わらず、死の恐怖を感ずるような状況に置かれたのです。それは、イエスが弟子たちに、必要があって、さらに深い何かを教えようとされる為でした。


弟子たちは「主よ、お助けください、私たちは死にそうです」(25)と訴えました。すると、イエスは「風と海をお叱りになり」(26)嵐をお静めになったのです。


人間の一番の問題は怒ることと恐れることです。恐れは①喜びと平安を奪い、②疑い深くなり、③臆病になり、④迷信を信じるようになり、⑤孤独になります。恐れによって身動きが取れなくなるのです。


第2 恐れから救われる道がある


恐れから救われるために、①イエスに叫ぶ(祈る)ことです。

「イエスを起こし」(25)とは「イエスに叫ぶ」(英訳)ことです。

人は物事を自分の物差しで判断し、自分で問題に壁を設け、不可能と決めてかかるのです。しかし、私たちは「人にはできないが、神にはできる」(マルコ10:27)お方を信じているのです。ですから、祈りを身につけ、祈ることです。


②傍らにおられる神を認めることです。この時、イエスは傍らにおられたのに認めることができませんでした。それは、弟子たちが自分でできると自己に信頼していたからです。しかし、弟子たちは暴風に対処できなくなり、自分たちの無能力を覚えたときにイエスを認めたのです。その時、暴風を静める主イエスの奇跡が起こったのです。


手術を受ける患者が、医師にどうぞ意のままにメスを入れてくださいと全面的にゆだねる時、そこに経験したことのない恵みの世界が開けるのです。