イスラエルの民は自分たちをエジプトから救い出し、約束のカナンに導き、約束された神から離れて歩んでいました。そのようなイスラエルの民に対して、立ち返るのを待っておられ、立ち返るものを大いに祝福しようとおっしゃっているのが今日の聖書の箇所です。
第1 みことばの開示
神がみことばによって民に語ってくださるのが第一の祝福です(20~21)。偶像なる神は救うことも聞くことも、語ることもできません。しかし、まことなる神はみことばによって民に語ってくださるのです。
神の民、神の子は、その神の声を聞き、神の言葉によって生かされているものたちです。神は、羊飼いのようなお方です。羊飼いは羊を牧場へつれて行きます。そこで羊は満腹し養われるように、神のことば、例の糧で養ってくださいます。
そのために、時間を性別し、譲って、弟子のように主に信頼して、熱心にみ声を聞くことです。
第2 偶像の除去
神のことばが聞こえてくるようになると、その人は神第一主義に生きるようになります(22)。偶像を拝む理由は、神の祝福ではなくご利益を求めるからです。まことの神を神としてないということです。
偶像とは、ある人が心の中で礼拝するもの、自分の意識の中で神を退けるか、神を第二位に貶めてしまうものです。ですから、それは必ずしも金、銀、木、石ではありません。
大切なことは、時間も財産も賜物も衣服もすべて神に与えれれたものですから、神を第一として関連づけ、神の前に、最高に価値ある正しい生き方でいることです。
第3 十全な祝福
聖書は単に精神的なことで終わるとはいっていません。心底から神第一の生活をして行くなら物質的な祝福も、神は保障してくださいます。
「まず神の国と神の義を求めなさい」(マタイ6-33)とあります。神を第一とする時、穀物も家畜も(23,24)祝福されます。さらに、心の傷も癒されるのです(25,26)。
神の声を聞き、神を第一にしていくとき、精神的な健康も肉体的な健康も、神の恩寵によって豊かなものとされるのです。すなわち、世界観が変わるのです。