『新しい皮袋に』 マタイ9章14~17節

取税人マタイは救われてイエスの弟子になった喜び、嬉しさを抑えられないでイエスを招いて宴会を開きます。ところが嬉々として食べたり、飲んだりしている光景が背景となって、断食問題が提起されたのです。

そこで、イエスは三つのたとえ話から、新しい恵みの時代が到来したことを話されたのが今日の箇所です。

1 結婚式のたとえ

バプテスマのヨハネの弟子は、イエスに「なぜ断食しないのですか」(14)と尋ねます。彼らは週二度断食をしていたからです。しかし、イエスは40日断食されたことがあり、断食が決して宗教的無意味と思っておられたわけではありません。

そこで主はご自分が結婚式の花婿のような存在であり、花婿がいるかぎり喜びがあり、断食する必要がないと言われました。イエスは十字架にかかり3日目によみがえり、聖霊によっていつもいてくださるお方です。結婚式のたとえはイエスがいてくださるので、喜びと慰めと励ましがあるという約束です。


 第2 つぎあてのたとえ

イエスを信じて救われ新しい命が与えられ、その命によって新しい生き方が始まりました。ところが、なお古い生き方の中に閉じこもっていては、救いは、すなわち福音の恵みは台無しになると教えられたのです。

それは、真新しい布切れで、古い着物につぎをあてると、そのつぎきれは着物を引き破り、やぶれはもっとひどくなるのと同じなのです。イエスによって救われたと言うことは、全く新しくされたということです。ところがなお個人生活において、自分の都合のよいところだけを聖書からとるような古い生活をしているなら、ご利益宗教と変わらないのです。


 第3 新しい皮袋

水の乏しいユダヤでは、ぶどう酒は必要な高価で尊いものでした。そのぶどう酒を入れる皮袋は羊の皮でできていました。

ところが新しいぶどう酒を古い皮袋に入れますと、新しいぶどう酒の発酵力によって、破裂して台無しにしてしまうのです。

それで新しいぶどう酒は弾力性のある新しい皮袋に入れ投ければなりません。すると何年も保存しているうちに、こくのある、良いぶどう酒になるのです。

それと同じように、キリストに出会い、新しい命が与えられると、その人の内におのずから新しい生き方が生じ、後になるほど満ち足りてくるのです。