『キリストのからだなる教会』Ⅰコリント12章12~27節

聖書では教会がどういうものであるか、それを象徴的に現しています。教会は『建物』、「羊の群れ」、「キリストの花嫁」、「ぶどうの木」、「神殿」、などです。

ところが、もう一つとても重要な象徴があります。それは、「教会」は「キリストの体である」ということです。その教会について学びます。

 

1 頭とからだの意味

エペソ人への手紙一章23節では、「この教会はキリストのからだであって」と言われています。また、コロサイ人への手紙一章18節では「キリストは教会のかしらである」とも言われています。パウロはおそらくダマスコ途上の経験を通してこう考えるようになったのでしょう(使途九4~5)

教会とはキリストのからだですから、キリストは私たちの痛みを痛みとされ、悩みを悩みとされるのです。そして、恵みとなってくださり、解決の道となってくださるのです。教会は神の恩寵のしはいするところです。


2 キリストの肢体

私たちの体はいろいろな働きをする器官からできています。そして、どれも必要で不必要な器官はありません。ちょうどそれと同じように、わたしたちはキリストのからだなる教会の器官、肢体なのです。境界にあってはどの兄弟姉妹も欠けてはいけない大切な存在です(14節~22節)。

「あなたは大切な存在です」というのが、キリストのからだに加えられたお互いなのです。

体全体が同じ命に生かされているように、私たちは同じ永遠のいのちに生かされています。それゆえに、主イエスにしっかりつながるように、教会につながっていることが大切です。


3 教会の多様な働き

体の器官にはそれぞれの働きがあるように、教会の肢体とされたお互いにも大切な使命と働きがあります。クリスチャンは神からそれぞれ賜物が与えられていますから。それを用いて何かの部署で使命を果たし、教会を建て上げていくのです。

もう一つの使命は伝道です。クリスチャンにとって、主を証し、伝道していくのは義務であり、大きな特権であり、喜びです(ヨハネ一九・21)。

まことの礼拝をささげ、一人ひとりが自分の使命を自覚して、教会生活に励みましょう。