2012年の主日礼拝説教・動画


『神のことばを聴きつつ生きる』詩篇一〇三・1〜5、15〜22節

福井文彦牧師による主日礼拝説教動画アーカイブ

聖書箇所 詩篇一〇三篇15節、1522節より

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『すべての民に大きな喜びを』ルカ第2章・1~14節より

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聖書箇所 ルカ第2章・1~14節より

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『お言葉どおり』ルカ第1章・26~38節

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聖書箇所 ルカ第1章・26~38節より

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『三つの恵み』ルカ第1章・67~79節

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聖書箇所 ルカ第1章・67~79節より

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『預言されたメシアの誕生』イザヤ書第9章1〜7

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聖書箇所 イザヤ書第9章・1~7節より

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『良い羊飼いキリスト』ヨハネ第10章・1~15節より

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聖書箇所 ヨハネ第10章・1~15節より

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『神のみわざが現れるため』ヨハネ第9章・1~11節より

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聖書箇所 ヨハネ第9章・1~11節より

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『復活と永遠』ヨハネ第11章・12〜27節

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昇天者合同記念礼拝

聖書箇所 ヨハネ第11章・12~27節より

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『十字架上で救われた人』ルカ第23章・32~43節

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聖書箇所 ルカ第23章・32~43節より

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『十字架の愛の愚かさ』コリント人への第一の手紙 第一章・18~31節より

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聖書箇所 コリント人への第一の手紙 第一章・18~31節より

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『新しくされて生きる』ヨハネ第三章・3~10節より

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聖書箇所 ヨハネ第三章・3~10節より

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『主をほめたたえる』詩篇34章1〜9節

 私たちがじっくりと詩篇を学ぶなら、人間のあらゆる状況に当てはまる詩篇を見出すことができます。もう一つは、詩篇の作者の多くが結論を一番最初においているということです。この詩篇34篇も1節が結論です。

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『あなたの荷を主にゆだねよ』詩篇55篇1~11節、16~22節

 この3月25日(日)の午後、3月9日(金)に神学校を卒業された後輩の伝道師夫妻と二人のお子様を加えて4人の壮行会が行われました。その中でお二人のお礼と感謝のお言葉と共に、神学校での4年間の恵みのお証をしてくださいました。お二人にとっては経済的な必要、子育て、住まいのこと、子育てしながらの学びの苦労等さまざまな重荷を負いながらの神学校での4年間でした。そのような状況の中で神さまにありのままをお祈りし、みことばの約束を信じて、神さまを信頼し、ゆだねていく中で、その重荷が重荷でなくなり、手品のようなお話しですが、支えられて来た体験談をお聞きました。

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『あなたはわたしの神』詩篇22篇1〜22節

 この詩篇22篇は主の十字架の死が、23篇は復活の主の恵みが、24篇は昇天された主の栄光が預言されているところです。

 この朝は、10節のみことばから「あなたはわたしの神」と題して語ってまいります。

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『良いサマリヤ人』ルカ第10章25〜37節

 先週の礼拝は「声なき者の友の輪」(FVI)の神田英輔先生のご用でしたが、私たちクリスチャンは「神の国」の実現のために救われたのであると語られました。そして、その神の国の実現のために「私しかできない『小さな愛の種を蒔く』ように」、また、「土の下に多様な小さな愛の種を蒔くように」ともお語りくださいました。私は先生のメッセージを聞き、そのことが心に強く残り、導かれたのがルカだけが記している有名な「良いサマリヤ人」のたとえでした。

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『恵みへの感謝』ルカ第17章11〜19節

 私は牧師、伝道者として召され、ほぼ毎週、このように講壇に立たせていただいて、みことばのご用をさせていただいています。しかし、週末、多くは土曜日に日曜日のメッセージの準備をする時に、人に語ろうとして準備をしているのですが、自分がまず問われることが多々あります。何かを語ろうとする時、結局自分が悔い改めなければ先に進めないという経験を毎週のようにさせられます。

 

 この朝の聖書の箇所の主題が「感謝」であることは、誰の目にも明らかです。準備のために聖書を読んでいた時、ふっと在学当時の神学校の校長や教授のことが思い出されました。

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『百卒長の信仰』マタイ第8章5〜13節

この朝開かれているマタイによる福音書8章1節から17節には3つの病のいやしが記されています。その2つ目は百卒長の僕のいやしです。その中心的なメッセージは百卒長の僕のいやしではなく、「百卒長の信仰」です。

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『今の時を生かして用いなさい』エペソ第5章15〜21節

 日野原重明先生は7年前から日本全国で「いのちの授業」を行なっておられます。今までに200校近くの小学校でいのちとは何かというテーマで「授業」を重ねてこられました。その授業で「いのちを持っている人?」、それから「いのちはどこにある?」と質問すると、片手か両手で胸を押さえます。

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『くつを脱ぎなさい』出エジプト記・第3章1~12節

 私は神学校を卒業して35年目を迎えています。13年前にこの教会に遣わされる時が4回目の転任でした。その35年の間、様々なことがありましたが、伝道者は伝道者として神さまのお取り扱いと訓練を受けますが、転任の時は信仰の真価が問われます。その度に、モーセが神さまの前にくつを脱いだ経験をしたようにくつを脱ぐ経験をしてまいりました。

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『シャロンの野花』雅歌第2章1~2節

 きょうは「花の日」礼拝です。礼拝後に皆さんがお献げくださったお花を持って、日頃のお世話になっている公共の施設に出かけて感謝し、ご病気の方々の慰めと励まし、また、伝道の機会ともしたいと思います。

 そこで花に関係する聖書の箇所はと祈りのうちに示されたのが雅歌です。この雅歌では何が語られているかと言いますと、神と神に選ばれた民との関係が語られているのです。

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『逆境の中の恵み』使徒行伝・第4章23〜35節

 主のためにとても良いお働きをされ引退された牧師がおいでになります。その先生が学生の頃、救いを求めて最初に行かれた教会は普通の民家で畳の部屋で礼拝がささげられていました。自分がイメージしていた西洋にあるような建物の教会とは違っていたために別の教会に行かれるようになりました。

 そこで救われ、やがて献身して神学校を卒業し、最初に遣わされた教会が普通の民家で、畳の部屋で礼拝をささげるようになりました。その時、最初に教会に行った若い頃のことを思い出して、恥ずかしい思いがしたそうです。それは、教会がどのような存在であるかを知らなかったからです。

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『聖霊による生涯』使徒行伝・第2章1〜4節

 キリスト教では大切な記念すべき出来事が3つあります。

 

 一つはクリスマスです。神のひとり子であられるイエス・キリストが人となってこの地上においでくださったことです。イエスさまは聖霊によって乙女マリヤに宿り、そのマリヤより生れ、人となってこの世に来てくださったのです。

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『神の約束を待つ』ルカ24章44節~49節

私が結婚のお世話をさせていただいた兄弟がいます。兄弟はS県に住んでいて姉妹はK市に住んでいました。姉妹の教会の牧師と私が親しくしていましたので、それぞれが兄弟姉妹にお話をし、二人が大阪駅で会うことになりました。ところが、姉妹はずいぶん待ったのですが、兄弟が来ません。それで、覚悟を決めて、あと5分で兄弟が来なければ、このお話は主のみ心ではないということで、ご破算にしようと決めたそうです。ところが兄弟が5分ぎりぎりに現れて、会うことができ、二人は結婚し、良きクリスチャンホームを築いています。このことを後に姉妹から聞き、約束を守ることがいかに大切であるかを教えられたことでした。

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『信仰の選択』創世記13章8節~18節

 私は二人兄弟で、弟が一人おり京都に住んでいます。今から45年ほど前に、その弟が家を建てるために土地を求めていて、家族で捜したことがありました。何ヶ所も捜して、ここが神さまの備えてくださった土地であると信じて、現在の金閣寺の近くの土地に家を建てて住んでいます。関西方面に出かける時に、その弟の所に泊めてもらうことがあります。その時、あちらこちらと土地を探して歩いた時のことを思い出して、都会で神さまが良き地を与えてくださったと感謝することがあります。 

 

 今日の聖書の箇所は、アブラム(これからはアブラハムと呼びます)とその甥であるロトが土地を選ぶ出来事が記されているところです。二人の選び方は対照的です。私たちはこの地上にあって、毎日、小さいこと、たとえば買い物のようなことから大きなこと、さらに、時には非常に大きなことで後々に影響するようなことを選ばなければならないことがあります。ですから人生は選択の連続であると言っても過言ではありません。

 

 ところで、私たちお互いは、主イエス・キリストによって救われ、神さまを信じる信仰によって生きる者とされました。その私たちが、どのように信仰によって選択し、信仰によって歩み、どのような目的のために信仰によって生きていけばよいのかを学びたいと思います。

 

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『勝利の右の手』イザヤ41章・第8節~20節

 イザヤ書41章の時代的な背景は、イスラエルの民がバビロンに捕囚の民として敵地にあった時のことです。この時のイスラエルの民は、神の民といわれるような民ではありませんでした。神の民であるなら、その国は栄えており、その文明を誇るような国であったはずです。ところが、敵地に捕え移されて、「あれが神の民と言われるイスラエルか」と思われるような状態にありました。実に哀れな、惨めな状態にあったのです。そのような状況の中で、「恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。……わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、あなたをささえる」と神はイスラエルの民を励まされたのです。

 

 私たちの人生においても、重荷にあえぎ、あるいは苦しみ、「私の人生はこれからどうなっていくのだろう」「私の仕事はどうなっていくのだろう」「私の家庭はどうなるのだろう」と、いろいろな問題に直面することがあります。時には踏みにじられたり、失望落胆したり、心臓の高鳴りを覚えたりすることがあります。しかし、「恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。……わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、あなたをささえる」とおっしゃってくださるお方が私たちの信じている神さまです。そこで、この朝は、その神がいかなるお方であるかを、イザヤ書から教えられたいと思います。

 

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『あなたの重荷を主にゆだねよ』詩篇55章1~7節、16章23節

 4、5年前にある先輩の牧師をお迎えして新年聖会が開かれたことがありました。その先輩の牧師が戦前、小学校を卒業した後、旧制の中学に進むのか、社会に出て働くのかを決めなければならない時がきました。そこで最も親しかった同級生の友だちに相談したところ、社会に出て働こうということになり約束されたのです。4月の初旬、路上で約束した友だちが向こうからやって来るのに出会いました。「どこに行って来たの」と聞きますと、「中学に入り、学校から帰るところだ」というのです。その時、牧師は非常に驚くとともに、抑えることの出来ない怒りが内側から込み上げて来たというのです。

 私たちお互いの中で、親しい人、信頼していた人に裏切られるという経験をされた方はその牧師のお気持ちが痛いほどにわかると思います。この朝の礼拝で開かれているこの詩篇55篇を歌ったのはイスラエルの王ダビデです。この中で、裏切られたダビデがその悲しみ、苦しみ、孤独を歌っています。裏切った人物については、いくつかの説がありますが、13節からその人物はダビデの議官アヒトペルであったと言われています。

 私が、この朝、ここから示されているメッセージは、この世にあっての悲しみ(重荷を負う)を経験する時、それを神からの賜物、プレゼントとして受け取り、それを神にゆだね、神にささえられつつ生きることが神さまを信じている信仰者の姿であるということです。

 そこで、「あなたの荷を主にゆだねよ」と題して2つの点から語ってまいります。

 

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『神の約束を信じて』民数記13章25節~14章3節

 イエスさまはマタイによる福音書5章から7章で有名な「山上の垂訓」と言われている説教をされました。その説教を終えられる7章の最後の箇所で、岩の上に自分の家を建てた賢い人と砂の上に自分の家を建てた愚かな人のお話しをして終えられました。ここでイエスさま人生についていくつかの大切なことを語られました。その一つは、人生は選択であると言われたのです。その選択は単なる選択ではなく信仰の選択で、イエスさまのおことばを土台とした人生を送るか、私の思いを土台とした人生を送るかということです。

 今日の聖書の箇所はモーセがエジプトを出立した200万人とも言われるイスラエルの民を、40年間、荒野を導いた最初の頃の出来事です。モーセはエジプトを脱してから40年後に、約束のカナンを目の前にするアラバまで来て天に召されます。その直前、イスラエルの民に40年を回顧して語ったのが申命記です。その最初に取り上げているのが、このカデシ・バルネアの出来事です。それは、イスラエルが神の約束を信じ、従わなかったために、約束のカナンに11日間で行けるところ40年を要するようになった失敗の出来事だからです。

 それで、新約聖書も「きょう、あなたがたがみ声を聞いたなら、荒野における試練の日に、神にそむいた時のように、あなたがたの心を、かたくなにしてはいけない」(へブル3:7~8)と警告しています。そのイスラエルの大きな失敗から、神の約束を信じ、従うことの幸いを学びます。

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『夜明けの岸辺に立つイエス』ヨハネ21章1~14節

 妻の父は船乗りでしたが、定年後、親類の建築会社で手伝いながら、自分で釣り船を買って、瀬戸内海に釣り客を乗せて出かける仕事をしていました。私たち家族が行きますと、喜んで船を出してくれましたが、大漁に獲れる時の喜びは格別で、その醍醐味を今でも忘れることは出来ません。

 今日の出来事は、テベリヤの海で夜通し漁をしたのですが、何も獲れなくて、疲れ切っている弟子たちに、イエスさまはご自身を現されたのです。そのイエスさまが舟の右の方へ網をおろして見なさいと言われ、そのおことばに従うと、網を引き上げることができないほどに沢山の魚が獲れたのです。そのあと、イエスさまは朝食を準備しておられ、疲れと落胆の上に空腹である弟子たちをもてなされたのです。

 このことを通して、十字架にかかられ死なれたイエスさまは復活され生きておられるお方であり、主がいかなるお方であるかを弟子たちが深く経験することになりました。そのイエスさまについてこの朝は語ってまいります。

 

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『復活の喜び』マルコ16章1~8節

 私たちがよく知っていますクリスマスは夜の出来事ですが、イースターと言えば朝の出来事です。人類は数えきれないほどの朝を経験して来ましたが、その中で、人類の歴史にとって最も重大な意義深い朝は、私たちの救い主イエスが蘇られた朝ではないでしょうか。なぜなら死者が蘇るという人類始まって以来の出来事が起きたからです。

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『すべての人のために』ルカ23章32~43節

 今日は棕櫚の主日、イエスさまが子ろばに乗ってエルサレムに入城された日です。今週は受難週で、金曜日にイエス・キリストが十字架におかかりになった受難日です。

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