神の大きな祝福

晩餐に招く神

主人が僕に言った、「道やかきねのあたりに出て行って、この家がいっぱいになるように、人々を無理やりにひっぱってきなさい」

 

ルカ 14・15~24
「聖書」(口語訳・日本聖書協会)より引用


 この当時、一般の人々の生活は貧しいものでした。ですから盛大な晩餐会というのは、たいへんな出来事でした。そこで、イエスが語られた盛大な晩餐会のたとえを通して、大きな神の祝福について学んでまいります。


第1 盛大な晩餐 

イエスがお語りになった盛大な晩餐会というのは、神の大きな祝福を意味しています。 

神の大きな祝福とは何であるかという問いに対して、長い年月を経れば経るほど、神の恵みが深められ、生活全般が恵みに生かされることではないでしょうか。 

ある時、与えられた一つのみことばが何十年も長い時間をかけ、神は人生の節目節目で重荷を負ってくださり、導いてくださるお方であるということを、だんだん深くわからせていただくことは祝福です。そうであればこそ、40年、50年もキリストを信じてくることが出来たのです。

神の招きに対して「はい」と応じるなら、神の祝福にあずかれるのです。


第2 招きに応じない人 

ユダヤの上流社会では、晩餐会の列席者を二度お招きするのが習慣でした。 

ところが、長い日数が経ったわけでもないのに、断ってきた三種類の人々のことが書いてあります。断った理由は、不動産売買、10頭の牛の売買、結婚のためでした。 

ここで断った人々に共通していることは、招いてくれた人への関心よりも、自分の生活への関心が大きいことです。 

そして、イエスはこのたとえ話を通して、福音の重要さ、キリストの贖いの大切さを教えておられるのです。 

私たちはどうでしょうか。イエスは、生活のことで頭がいっぱいで神のことを横に置くのは良くないとおっしゃっているのです。

 

第3 卑しい人への招き 

招かれた人々は一様に断りました。僕が主人に報告すると、主人は怒って、「貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人」を招くように命じます。

その上、まだ空席があるというので、いっぱいになるように無理やり引っぱってきたのです。 

確かにイエスは、みすぼらしい放蕩息子をはじめ、お金はあるが孤独のうちにいたザアカイを救われました。

取るに足りない、卑しい、汚れた者のところに来てくださって、神の国の盛大な晩餐会を開いてくださいます。

ですから、先に救われた者は、「無理やりに」伝道するべきです。 

また、信じ救われた者が招きに応じる時、どのような状況でも神は支え、祝福してくださいます。